ドラフト外入団−秋山幸二の部屋

ドラフト外入団


 1980年、熊本県立八代高等学校から西武ライオンズにドラフト外で入団。
 小学校時代はキャッチャー、中学時代はセンターとサード、八代高校時代は背が高かったことからピッチャーに指名され高校3年生時の熊本県大会では、ストレートと曲がらないカーブの2球種で決勝戦まで進出。
 当初、地元大学への進学を決めていたが、無名の高校を引っ張った大型右腕投手としてスカウトの間では評判となっていた(3年生の夏の甲子園熊本県予選決勝では大津一洋と伊東勤がバッテリーを務めていた熊本工高に4-6で敗れる)。

 ほとんどの球団が投手としての獲得を目指したが、西武と巨人が秋山の打撃能力に注目(秋山自身も、投げることより打つことの方が好きだった)。
 巨人との争奪戦の後、当時の根本陸夫監督は『4年後には4番を打たせる』という言葉で秋山と秋山の母を動かしたと言われている。

 西武入団当時の年俸は240万円と、当時のドラフト外入団高卒選手では平均的待遇だったが、契約金は5000万円という破格の値段だった。



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